天才F1ドライバー、アイルトン・セナ。
故人です。
1994年5月1日、サンマリノGPで事故死。
日本でも相当な人気があり、地元のブラジルに次いでファンが多かったのではないかと思います。
そんな天才ドライバーを365日追いかけた新聞記者の著書です。
日本では“音速の貴公子”などと呼ばれ華やかなイメージがありますが、決してそんな陽の部分だけではありません。
当たり前のことですが。
ブラジル人ということでヨーロッパではずいぶんと蔑んだ扱いも受けたようです。
89年の鈴鹿GPでもアラン・プロストとシケインで接触した件で、プロストと同じフランス人のバレストルFISA会長はセナに厳しい罰則を与えました。
このバレストル会長はエンジン供給メーカーであるホンダに対しても「F1はイエローのためにやっているのではない」などと差別発言をするようなろくでもない人物ですが。
ヨーロッパ人から差別的な目で見られていたセナとホンダ。
その両者が結びつき築いた絆は決してビジネスライクなものだけではありませんでした。
セナはホンダの創始者である本田宗一郎氏を尊敬していました。
本田氏に「これからもお前のためにいいエンジンを作るからな。これからも頑張れよ、セナ」と声をかけられたとき、セナは大粒の涙を流したといいます。
91年8月10日のハンガリーGP決勝戦。
その5日前に本田氏が死去。
ホンダチームのリーダーは喪章をつけてレースに臨むべきかどうか迷います。
本田氏の遺言に「特別なことは何もしてほしくない」というのがあったこと。
そして「日本以外の国でも喪章をつけるという慣習があるのか」ということ。
しかしそれは杞憂でした。
セナが当然のように喪章をつけて現れ、「ミスター・ホンダのためにも今日は負けられない」と。
セナだけではありません。
チームメイトのゲルハルト・ベルガー、そしてすべてのマクラーレンスタッフが喪章をつけ、決勝に望んだのです。
レースの結果はセナのポール・トゥ・フィニッシュ。
まあそんないろんなエピソードが書かれており、人間アイルトン・セナの魅力、悲哀などを知ることができる一冊です。