『ニッカウヰスキー』の創業者、竹鶴政孝。
“マッサン”としてNHKの連続テレビ小説で話題になりました。
そんな国産ウイスキーの父と呼ばれる人物の半生を描いた本です。
造り酒屋『竹鶴酒造』の三男として生まれましたが、ウイスキー造りを志し大阪の『摂津酒精醸造所』に就職します。
しかし当時の国産ウイスキーは模造品です。
摂津酒造社長の阿部喜兵衛は本格的なウイスキーを日本でも作ろうと、竹鶴をスコットランドに留学させます。
本場のウイスキー造りを学び現地で知り合ったリタを妻にして2年後に帰国したものの、戦後の恐慌に伴いその時の『摂津酒精醸造所』には本格ウイスキーに設備投資する余裕がありませんでした。
ウイスキーを造ることができないのならこの会社にいても意味ありません。
阿部に恩を感じながらも竹鶴は『摂津酒精醸造所』を退社、中学校で化学を教えながら浪人生活を送っていましたが、1年後同じく国産ウイスキーの生産を考えていた『寿屋』(現サントリー)の鳥居信治郎に声をかけられウイスキー製造の責任者として迎えられます。
ですが会社の事情でビール造りの責任者も兼任させられ、鳥居との考えの違いもあり10年ほどいた『寿屋』を退社。
竹鶴はいよいよ自分で会社を作ろうと決心し、北海道は余市に『大日本果汁株式会社』を設立します。
いきなりウイスキーに特化するには資金や製造体制の上でも力不足なのでジュースの製造会社としてスタートし、ジュースを売りつつじっくりとウイスキーの原酒を育てていくという考えです。
この『大日本果汁株式会社』を略して『日果』、つまり『ニッカウヰスキー』という社名の由来となります・・・・。
しかし昔の人のバイタリティや情熱というのはすごいですね。
今のように気軽に海外に行ける時代とは違い、大正時代に海外に留学するなんて相当な決心だったと思います。
だからこその偉人であるわけですが。
竹鶴のウイスキーに懸ける思いもそうですが、結婚して日本で暮らし日本人になりきろうとして竹鶴を支えた妻のリタも素晴らしい。
どれほど竹鶴はリタに感謝したことでしょう。
現在ではごく当たり前のように品質のいい国産ウイスキーを楽しめるわけですが、このような人物の功績に敬意を払いつつ、思いを馳せて味わわなければなりませんね。