おにぎりの具。
例えば梅干し。
ゴハンという厚い壁に覆われ、しかもその上に光を通しにくい黒い海苔で覆う。
飯の中という闇の世界です。
そして口中へ。
闇から闇。
日の目を見ることなく生涯を終えると。
しかし「目覚めよ具!」、「具に光を!」という解放運動により、おにぎりの具は天むすにおいて一部脱出という形に成功します。
ただ全露出ではなく一部だけという中途半端にとどまり、天むすの具エビ天は苦悩するのです・・・・。(「おにぎり解放運動」)
いや、しかし。
おにぎりの具でここまで考察できる著者の眼がすごい。
それをひとつのエッセイに仕上げるセンスがすごい。
いまさら東海林さだおの天才をどうこういうまでもないのですが。
相変わらず傑作そろいのエッセイ集でありますが、他には「丼一杯おかず無し!!」なんてのもよかったですね。
美味しいごはんを食べて「うーん、旨い。これならおかずなんか要らない」。
テレビのグルメ番組なんかでよく出てきそうなコメントです。
それはそれで確かに本音だろうと理解を示します。
しかし著者は妥協しません。
「じゃあ、いまここで、この丼一杯のゴハンをおかず無しで食べてください」などといわれるとリポーター役のタレントはどうするのかと。
「そのへんのところは、まあ、大人の話をしようじゃありませんか」ということになるだろうと。(笑)
ですが著者は実行します。
新米のコシヒカリを購入。
炊いて丼に盛って食べ始めます。
丼一杯のゴハンはおおよそ二十口分とのことですが、結果、十口目あたりから辛さが身にしみてくるとのこと。
十八口目には目に涙を浮かべながらひたすらゴハンを噛み、二十口目にはついに明太子に手を出すことに。
おいしくて体が震えたと。(笑)
私も美味しいごはんに出会って目から鱗がおちる体験をしたことがありますけども、「本当に美味しいごはんならば、おかずなんか要らない」なんてことを言う人は信用しません。
美味しいごはんを褒め称える比喩として言っておられるのならいいのですが、真剣に言っておられる方もいらっしゃいますので。
栄養学的なことはこの際置いておくとしても、味覚的にそんなわけない。
ごはんは他の味があってこそ美味しく飽きずに引き立つのです。
ごはんばかり食べて味覚的に満足できるわけがない。
そりゃ戦中戦後のように食べ物の無い時代ならば白飯だけで御の字でしょうけど。