2009年04月19日

「ほんもの食べたい 諸国菜時記」荻昌弘

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映画評論家の荻昌弘氏。

食通としても知られた人でした。

そんな氏の食エッセイです。

春くさぐさ、夏いろいろ、秋とりどり、冬それぞれ、新年さまざま、と季節によって章が分かれています。

内容は特にどうということもないんですけどね。(笑)

ただ、あとがきに書かれていることには共感しました。

「ほんもの、とは何か。それは私の場合、必ずしも、その食べものの出発点に還ることとか、或る特定の人だけが入手できる天然物、などは意味しない。私はもともと、養殖物は駄目、などという発想を、ぜんぜん持たないのである」

「一部の人にしか手に入らない天然物に固執することは、一見、純粋な良心にみえて、じつは特権意識につながってしまう危険がある」

「私にとって『ほんもの』を求めるとは、せいぜい、その時点の社会の位相の中で、創るほうも精いっぱい、多くの市民のためにいいと信じるものを作り、食べるほうも、自分の努力の範囲でいちばんしっかりしたものを積極的に確かめてゆく、その水準にほかならない」

「そばでさえも、じつは春が来てしまったら味はもう駄目なのだ、といった強い思い入れがある。その事実はしっかり頭に入れておきたいと思うが、だからといって、そば屋には晩秋から早春までしか行かない、といった態度を私はとらない、ということである」

たしかに本物ということを厳密に定義すれば、やはり養殖物より天然物ということになるのかもしれません。

本来あり得なかった季節はずれの物よりも、旬の物を食べることが昔ながらの自然な行為ともいえるでしょう。

しかし頑なにそれら以外の物を否定しても、現実的な一般の食生活は成り立ちません。

天然物や旬の物以外は口にしないというストイックさもまた食通としてのスタンスかもしれませんが、養殖物もなかなやるな、旬ではないがなかなかどうして、といった余裕もあるほうが楽しいかと思います。

だからこそ「創るほうも精いっぱい、多くの市民のためにいいと信じるものを作り、食べるほうも、自分の努力の範囲でいちばんしっかりしたものを積極的に確かめてゆく」という姿勢は重要だと思います。

私は情けないことにあまりこだわりなく何でも食べていますが・・・・。(笑)

ラベル:グルメ本
posted by たろちゃん at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 『お』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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