歌謡曲の全盛期といえば70年代。
そのブームを築いたひとつのきっかけとして『スター誕生』という番組がありました。
ここからデビューした歌手は実に多い。
森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、ピンク・レディー、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜・・・・。
ビッグネームがずらりです。
もちろん消えていった人もいるわけですが。
そもそもはナベプロこと渡辺プロダクションがこの業界で半分以上のシェアを占め、その影響力は絶大でした。
そんなナベプロと日本テレビがある事情から絶縁戦争状態となり、ナベプロのタレントは使えなくなりました。
こうなると自前でタレントを育てなくてはなりません。
ナベプロとの戦争に勝つ。
そんな目標もあり生まれたのが『スター誕生』でした・・・・。
著者の阿久悠氏は審査員として番組にも登場していましたが、企画の段階からこの番組に関わっています。
まさかこのような化け物番組になるとは思いもよらなかったようで。
ピンク・レディーのエピソードなんてのもそれを象徴しているように思えます。
あまり期待もされず、まさかあんなに売れるとは誰も思わなかったようです。
普通期待の新人は、だいたい5月までにはデビューさせるとのこと。
新人賞を狙うには知名度やレコードの売り上げも考え、これくらいにはデビューさせないと間に合わない。
ところがピンク・レディーのデビューは8月だったそうです。
「大して期待されていなかったことが、この発売日の設定でもわかる」と著者は書いています。
実は同じ決勝大会でスカウトされた清水由貴子が大いに期待されていたのですね。
彼女は決勝大会前から一人勝ちが予想されていました。
本命があって対抗も大穴もいないとさえいわれていたようです。
そんな清水由貴子のデビューは翌年の3月。
期待の新人定番通りのデビュー予定です。
さて8月デビューのピンク・レディー、デビュー曲は『ペッパー警部』。
作詞・阿久悠、作曲・都倉俊一。
これが売れた。
発売1か月後には街のあちこちで子供たちが振り付けをまねて歌うほどのブームとなり、一気にスターへと駆け上がります。
こうなると翌年3月にデビューした本命であるはずの清水由貴子などぶっ飛んでしまいました。
「ピンク・レディーの猛威に吹き飛ばされる前に世に出ていたら、『お元気ですか』という曲は、もっと売れたはず」と著者。
他の世界でも蓋を開けてみなければわからないというのはありますよね。
プロ野球でもドラフト1位の選手が必ずしも活躍するわけではありません。
ハンカチなんたらという人のように。
逆にイチローなんかはドラフト4位でしたが、その後は世界のイチローです。
いやしかし、『スター誕生』という番組、芸能界に大きな影響をもたらしました。
そして作詞家である著者の阿久悠氏もまた一時代を築いた人です。
時代や人が上手く噛み合い、歴史は変わり、作られていくのですね。