大阪は千里の丘の上にあった毎日放送(MBS)。
そこからは『ヤングタウン』、通称ヤンタンというラジオ番組が発信されていました。
(今も番組はありますが)
当時の中・高・大学生から絶大に支持され、またこの番組から数々のスターが生まれました。
桂三枝(現・文枝)、笑福亭仁鶴、笑福亭鶴光、谷村新司、明石家さんま、紳助・竜介・・・・。
そんなヤンタンを聴いて育った世代に嘉門タツオがいました。
当時金曜日を担当していたのが笑福亭鶴光。
オールナイトニッポンにも登場して、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
そんな鶴光にタツオはゲリラ的に鶴光をつかまえ、弟子入り志願し入門します。
芸名は笑福亭笑光。
内弟子生活の始まりです。
そしてなんやかんやありつつ、なんとヤンタンのメンバーに大抜擢。
メインは原田伸郎、アシスタントはヤンタンファンなら忘れられないあのアニメ声の大津びわ子。
タツオは笑福亭笑光として順調なスタートを切るのですが・・・・。
当時は深夜のラジオがすごく盛り上がっていた時代でした。
現在のようにインターネットなんてありません。
ビデオやテレビゲームなんてのもなく、一部の若者の深夜の楽しみといえばラジオでした。
受験生が勉強しながらというのもパターンでしたね。
私もヤンタンはよく聴きました。
好きだったのは金曜日の谷村新司、ばんばひろふみ、佐藤良子。
その当時はこの日が一番人気でした。
サニーこと桂三枝が司会していたのは土曜日。
ここで私は初めて明石家さんま、紳助・竜介を知りました。
さんまはチャッピーなんて名乗ってましたね。
まだ貧乏だったような話をしておられました。
紳助・竜介の漫才は抜群に面白かった。
まだどちらもブレイクする前だったので、さんまにしろ紳竜にしろテレビでは観たことがなく、声だけでどんな人だろうと思いながら聴いていました。
懐かしい・・・・。
それはともかく本の内容に戻りまして、笑光は師匠の奥さんとぶつかり合うようになり、言うことも聞かなくなってやがて破門。
傷心したタツオはあちこち旅に出かけます。
そんな中で、いまさら落語には戻れない、でも歌で笑わせることならできるのではないかと開眼します。
ヤンタンのプロデューサーだった渡邊一雄氏の世話になり、またヤンタンでデビューし憧れの存在だった金森幸介氏の歌に励まされ、タツオは再デビューを果たします。
これは実話であり、嘉門タツオの自伝小説です。
ラストにはぐっとくるものがありました。
しかし人生というものは本当にどうなるかわからないものですね。