「お笑い男の星座」、「お笑い男の星座2」に続くタレントの生き様を評した第3弾。
今回は前2作と違いタレントそのものではなく、タレントが書いた本に対しての書評集です。
その数50冊。
水道橋博士の筆が冴えます。
ギャグを交えた文章は上手いですし、博学を感じさせます。
切れ味もなかなかのもの。
芸能界には興味ありませんし自らタレント本買うことはまずありませんが、こういう本があるとまとめて内容を知ることができて楽しい。
ぼちぼちとひまつぶしに読むにはいい一冊でした。
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「お笑い男の星座」、「お笑い男の星座2」に続くタレントの生き様を評した第3弾。
今回は前2作と違いタレントそのものではなく、タレントが書いた本に対しての書評集です。
その数50冊。
水道橋博士の筆が冴えます。
ギャグを交えた文章は上手いですし、博学を感じさせます。
切れ味もなかなかのもの。
芸能界には興味ありませんし自らタレント本買うことはまずありませんが、こういう本があるとまとめて内容を知ることができて楽しい。
ぼちぼちとひまつぶしに読むにはいい一冊でした。
幻想ホラー小説集。
九つの短編が収められています。
表題作は三十歳を超えた肥満の女性が主人公です。
職場では周りの女性たちから相手にされていない疎外感を持っています。
それも自分の容姿のせいだと思っている主人公は、夜に出歩き闇の中に溶け込むことによって心を癒しています。
あるとき見知らぬ路地に迷い込んだ主人公は、そこで不思議な光景に出会います。
電柱に刻まれた「十」と「一」という文字。
線を一本ずつ刻み、それが三本となり「十一」になると姿を変えることができるというのです。
ある中年の男は木の体に、ある女は銀の体に、ある少女はガラスの体に。
主人公もガラスの体になりたいと願います。
そして電柱に「十一」を完成させたとき主人公は・・・・。
どの作品も幻想ではありますが、あまりホラーという雰囲気ではないですね。
しかし女性の嫉妬を根本にした内容は怖いといえばたしかに怖い。
これは男性では出せない怖さであり醜さでしょう。
ただちょっと物語が抽象的すぎて、私にはもひとつ楽しめませんでした。
タイトルと表紙からわかるように大相撲を題材にした小説です。
主人公の桐疾風は十九歳で入門二年目、位は三段目東三十枚目。
桐碧部屋という小さな相撲部屋の力士です。
学校でまったく勉強ができず、逃げるようにして相撲界に入ってきました。
しかしそこからも逃げ出そうとしてしまうのですが、大阪にいる恭子姉さんとその娘の純ちゃんに励まされなんとか続けていく決心をします。
だんだんと番付を上げていく桐疾風。
来場所はついに十両かというところまでやってきます。
十両と幕下では天と地ほど待遇の差があるのです。
十両になると付け人が付きます。
大部屋から個室に移れます。
稽古回しは黒から白へ、取り組みでも鮮やかな締め込みとなります。
取り組み前に化粧廻しを付けて土俵入りできます。
丁髷ではなく大銀杏を結えます。
などなど。
収入も幕下は二ヶ月に一度の場所手当てのみ、十両の月給は百四万円。
関取と呼ばれるそんな地位まであと一歩というところで・・・・。
角界を舞台にした小説というのはちょっと珍しいのではないでしょうか。
隠語やしきたりをうまく取り入れて紹介してあり、興味深く読めました。
ただそれぞれのエピソードが中途半端な印象です。
恭子姉さんとの関係も最初だけでほったらかしですし、途中で出てくる追っかけ少女との付き合いもやはりほったらかし。
もうちょっとそれぞれのエピソードをきっちりと収めてほしかった。
ラストはこれはこれでありでしょうか。
ボクシングなら世界チャンピオン、大相撲なら横綱になってめでたしめでたしでは安直過ぎますもんね。
希望のあるラストではあります。
爽やかな青春小説。
漫画家の杉浦日向子氏(故人)を中心としたソバ好き集団「ソ連」の人たちが、東京をメインとして全国のソバ屋を紹介しておられます。
ソバ屋で憩うというのがコンセプトなので、ソバを楽しむのはもちろん酒もしっかりと楽しんでおられます。
まずは焼き海苔や焼き味噌、玉子焼き、板わさ、鴨などソバ屋らしい肴で酒を飲み、締めにソバというパターンです。
居酒屋とはまた違った味わいがあるようで。
ただしちょっと下品な内容もあります。
某店で「酒は一人二本まで」にもかかわらず、飲み終わった徳利を机の下に隠し追加注文。
ご機嫌満足大感激などと書いておられる。
別の頁ではソバを食べるために信州に向かう新幹線の中、酒を飲むのにコップがないことに気付き、「そこは機転のきく我々のこと」と自賛し、車内のトイレ脇にある給水機の紙コップを持ってくる。
しかも二重にすると頑丈だと。
そりゃまあ酒を飲むのに使ってもいいですけどねぇ。
あまり得意げに書くことではありますまい。
ま、微笑ましいレベルではありますが。
ちなみに文章は署名入りなのですが、この二つの文章はどちらも大墻氏というメンバーです。(笑)
この本を読んでいたらやたらソバを食べたくなりまして、さっそく昼食にざるそばを食べに行きました。
食エッセイです。
タイトルは『カワハギの肝』ですが、もちろん丸々一冊それについて書かれているわけではなく。
『食いもの談義』、『野外食い歩きの記』、『食卓歳時記』と三つの章に分かれています。
『食いもの談義』では主に現在(当時)の身辺について。
中の『ふるさとの味』では、京都ほど食べもののまずいところはないとぶった切っておられます。(笑)
うまいものといえば漬物くらいだろうと。
私は京都の料理なんてよく知りませんけども。
ただ、「たらぼうだの、朝がゆだの、湯豆腐だのを、さも高級な料理らしく、千円以上の金を取って(1976年当時)食わせている」という批判には納得。
それらを出す店にはもちろん言い分もあるでしょうが、たかが湯豆腐なんかをなにをもったいぶって出しているのか。
またそれをありがたがって食べているのか。
あほかと思いますね。
『野外食い歩きの記』は著者の少年時代について。
野山でいろんな木の実などを食べた思い出が綴られています。
もちろん土地にもよるでしょうが、昔は身近に自然の食べ物があったんですね。
『食卓歳時記』ではいろんな食材や料理にちなんで普段の食生活を紹介しておられます。
この項で表題の『カワハギの肝』が登場します。
「あらゆる魚の肝の中で一ばん味のいいのは、カワハギの肝ということに落ちつくのではあるまいか」と。
いちばん美味しいかどうかは人それぞれとしまして、たしかに旨い。
ま、肝はなんでも旨いですけど。(笑)
ぼちぼちと楽しく読みました。