2020年03月28日

「銀座バイブル ナンバーワンホステスはどこに目をつけるのか」向谷匡史

CIMG3617.JPG

夜の銀座は成功者の街だといわれています。
実業家、政治家、芸能人、文化人、それぞれの世界で名を成した人たちが集まる世界です。
なにしろ高級店になりますと座っただけで4~5万円ですから。
一時期ほどではないにせよ、そのステイタスはいまも変わらないでしょう。
そんな銀座の一流店のホステスたちは、どのように客をもてなし、稼いでいるのか。
ホステスとしてどのような振る舞いがいいのか悪いのか。
裏を知る著者がノウハウを語ります・・・・。
まず銀座なんて街は大阪在住の私にとりましてまったく縁がありません。
大阪の北新地にさえ縁がないのですから。
当然、夜のクラブ活動なんてまったくもう。
地元の駅前さえ出かけるのも億劫な出不精です。(笑)
それはともかく、読み物としてはとても楽しめました。
ホステスの実態、う~ん、なるほど、客の相手して酒飲んで店での実働は4~5時間。
そりゃラクだわな、なんて思ってはいけません。
お気楽なサラリーマン、OLなど、及びもつかない苦労があります。
一流店のトップになりますと年収1億はあるようですが、しかしそんなのは一握り。
それでなくとも出費はひと月にサラリーマンの月収くらいはあるようですし。
私にはまったく縁のない世界なので、他人事のように(他人事ですが)楽しく読ませていただきました。
ちなみにネットでもそういう世界を取り上げた動画がいくつか紹介されています。
TVの取材で放映されたらしい六本木から銀座に進出したママの動画なんてのもありましたが、調べてみましたらどうやら撤退したようで。
オーナーとして銀座に店を出す、客として店に通う、どちらもステイタスですが、なかなか難しいようですね。
会社の経費も使えなくなりましたし、成金も減りましたし、そうなると店も維持できない。
若い連中もいまさらそういう場所を有り難がらなくなってきたというのもあるんじゃないでしょうか。
厳しい時代です。
でも私には縁がないながらも、こういう店はぜひ続いていただきたいと思います。
これもまた文化でしょう。
posted by たろちゃん at 01:00| Comment(0) | 『た』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月02日

「グルメの食法」玉村豊男

CIMG3604.JPG

自他ともにグルメを任ずる人ならばこれくらいの基本的な食法など当然知っているであろう知識を、著者の私的解釈をまじえながら記したという本書。
ま、本音でもあり、皮肉でもあり、遊びでもあり、照れ隠しでもありましょう。
最初はやはりフランス料理について。
フランス料理の供し方の変遷ですね。
今でこそフランス料理というと優雅に一品ずつ出されるというイメージがありますが、昔はテーブルの上に一度にアホほどの料理が並べられたんですね。
なので温かい料理は冷め、冷たい料理は生ぬるくなり、テーブルの上はもうぐじゃぐじゃで。
多数の料理をテーブルに並べることにより、権力を誇示していたんですね。
料理だけでなく当然その大量の料理をサービスする人間もまたうじゃうじゃいたわけですから。
他、中国料理についても語られていますし、シルクロード近辺を旅してパスタの起源を考察したりもしておられます。
もちろん日本料理についても言及されており、生(ナマ)を異様に重要視する鮮度至上主義を指摘しておられます。
そして要約しますとこのようなことを言っておられます。
「はたしてこれは“進化”なのだろうか」と。
本来ならいろんな素材を組み合わせ、火を入れ、調味料で味付けし、素人にはどのように調理したのか想像もできないような複雑で深い味わいを生み出すのが料理人の腕の見せ所であるはずと。
フランス料理や中国料理はそうであると。
しかし鮮度至上主義が究極になったのが刺身で、これはもう料理技術云々の前に、いかにいい素材を仕入れるかが料理人の腕ということになってしまうと。
もちろんどんなジャンルの料理においても鮮度のいい質のいい素材を使うというのは大前提でしょう。
そして包丁の技術が味を左右するのも当然のことではありますが。
しかし「新鮮な素材を切って出すだけ」というのは紛れもない事実で、これは料理以前ではないかと。
私もそれはずっと思っていました。
まあ“料理”というものについての考え方の違いもあるのでしょうが。
そして鮮度至上主義が高じて極端に走ると姿造りなんてことになってしまう。
ついさっきまで生け簀で泳いでいた、まだピクピク動いている、なんてことを有り難がってしまう。
フランスと日本の違いについて、著者は面白い言葉を紹介しておられます。
フランスでは「女房とワインは古くなるほど味が出る」という言葉があるそうです。
それに対して日本では「女房とタタミは新しいほうがいい」と。
なるほど、すべてに当てはまるわけではありませんが、熟成を重視するフランス人と、とにかく鮮度、生をいちばんとする日本人。
どちらがいい悪いではなく、考え方の違いが見事に言い表されて面白いですね。
ラベル:グルメ本
posted by たろちゃん at 01:00| Comment(0) | 『た』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月11日

「春琴抄」谷崎潤一郎

CIMG3594.JPG

春琴は大阪道修町の薬種商のこいさんです。
盲目ですが美貌で若くして三味線の師匠。
丁稚の佐助は春琴が幼いころからずっと仕えていました。
まさに手足のごとく。
後年、春琴は何者かに顔に熱湯をかけられ、その美貌を失ってしまいます。
佐助は春琴の美貌を永遠のものとすべく、自らの手で目に針を突き刺し盲目の世界に入ります・・・・。
いや、これはすごいですね。
谷崎のマゾヒズムの究極かも。
といいましてもエロティシズムの匂いはありません。
結局は春琴と佐助に性的な関係はあるのですが、それもあるかないかのような扱いです。
それに関しての描写もありません。
ひたすら佐助が春琴に尽くしまくります。
しかし。
いくら愛する女性のためとはいえ、自ら針で目を突いて盲目にはなれないでしょう。
そこまでやってしまうのが谷崎の恐さですね。
文章は改行がなく、句点読点を極力省いた実験的な文体です。
なので読みづらい。
読みづらいのですが、読んでいるうちにリズムをつかんでしまいます。
でもこの文体に意味があるのかどうか。
こんな文体にしなければもっと読みやすくわかりやすい小説になったでしょうに。
これに関しては作者をはじめ、いろんな人たちが記述しておられますので、私ごときがどうこう言うものでもないでしょう。
ラベル:小説
posted by たろちゃん at 01:00| Comment(0) | 『た』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月22日

「花だより みをつくし料理帖 特別巻」高田郁

CIMG3583.JPG

全10巻で完結したシリーズの特別巻です。
あれから4年後。
澪は源斉と所帯を持ち、江戸を離れて故郷の大坂で料理屋を営んでいます。
そんな澪のことが夢にまで出てくる「つる家」主の種市。
澪のことが気になるのは戯作者の清右衛門も同じなようで。
清右衛門、版元の坂村堂、種市は澪に会いに行くために東海道を五十三次、大坂を目指します・・・・。(花だより)
澪と恋愛した御膳奉行の小松原こと小野寺数馬。
お互い口には出さなかったものの、相思相愛の仲でした。
しかし立場が違います。
これはまず小野寺の妻となった乙緒の心情を酌みつつ、その先にある小野寺の心情を酌みたいですね。(涼風あり)
あさひ太夫こと野江は、現在大坂で「高麗橋淡路屋」を再建しています。
商売は順調です。
ですが女主人として続けていくには期限があります。
男を主人に立てないと店を存続できない。
野江はどのように決断したのか・・・・。(秋燕)
正体不明の疫病が大流行します。
澪の夫である源斉は全力を尽くしますが、ことごとく患者を亡くしてしまいます。
落ち込み、過労で倒れてしまう源斉。
澪は店を休んでまでも、源斉の看病に尽くします・・・・。(月の船を漕ぐ)
さすがのレベルですね。
相変わらず読ませてくださいます。
巻末の「みをつくし瓦版」を読みますと、いよいよこのシリーズはこれが最後のようですね。
しょうがない。
澪たちのその後が知れただけでも喜びとしなければ。
posted by たろちゃん at 01:00| Comment(0) | 『た』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月27日

「わが百味真髄」檀一雄

CIMG3568.JPG

食通として知られた作家、檀一雄の食エッセイです。
いや、この人の場合食通という言葉は当てはまらないですね。
食通といいますとある程度スノッブさがないとだめでしょう。
美食家的な。
この本を読みますと、むしろそういう気取ったのとは対極のところで食を楽しんでいるようなところがあります。
本書にも書かれている通り、ぶらりと訪れた土地で立ち飲みや立ち食いの店に入り、コップ酒を楽しむみたいな。
そして檀一雄といえば食べるよりもむしろ作る側の人ですね。
「檀流クッキング」なんて本も書いておられるくらいですから。
とにかく料理大好き、買い出し大好き。
いや、わかります。
私もそういうの大好きですから。(笑)
本人も「世界を股にかけた料理人」と自称しておられたとか。
日本国内にとどまらず、まさしく世界を旅してその土地の料理を食べ、自分なりに咀嚼して再現したりしておられたようです。
旅に行く先々でその土地の食材を仕入れ料理しておられたとのこと。
わかるなぁ。
旅先の市場のなんという魅力的なことか。
自宅の庭に山ゴボウらしいものが自生しているのに気づき、味噌漬けにして家族で食べたところ、家族全員猛烈な下痢と嘔吐に見舞われたというエピソードも紹介しておられます。
そんな経験があるにもかかわらず、ある日庭に茸を見つけ、これは竹孫(キヌガサダケ)だと飛びつきます。
植物図鑑で調べると、どうもアミガサダケのようだと。
さっそく摘み取って料理し、酒友達に振舞ったところ大好評。
実際にアミガサダケだったのかどうかは不明ですが、いつの間にかその場には以前の山ゴボウで懲りている細君の姿はなかったとか。(笑)
食通というよりも食い魔といいますか、とにかくなんでも自分の手で料理して食ってやろうという探求心というよりも執念のようなものを感じますね。
このような話を読んでいますと、気取って流行りの店を追いかけてグルメを気取っているなんて、なんとも上っ面を撫でているだけなのだなぁと思えてきます。
こだわるのなら、もっと根本から「食」というものに食らいつかねば。
自分でも料理していろんな素材を“咀嚼”しなければ。
そんな思いを持ちました。
ラベル:グルメ本
posted by たろちゃん at 01:00| Comment(0) | 『た』の著者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする