2020年07月04日

「「あまカラ」抄1」高田宏 編

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昭和26年に創刊され、同43年まで200号発刊された食の雑誌「あまカラ」。
毎月20篇前後の食エッセイを掲載していたとのこと。
トータルでおよそ3000篇前後とのことですが、その中から3巻で約130篇を収録したのがこの「あまカラ」抄です。
編者は苦労されたようですね、作品選びに。
そりゃ3000篇の中から130篇を厳選するわけですから。
3巻で刊行するにあたって、まずその3巻をどのように分けるか。
編者は第1巻は作家篇、第2巻は学者・評論家篇、第3巻は諸家篇としました。
そして選び出した基準が『「食」を通して「人間」が見えてくる点においた』といいます。
『もっと言うなら、書き手の生(いのち)が、書き手の喜怒哀楽が、飲食を通して見えてくる文章を選んだ』と。
そんな基準で厳選された44篇がこの第1巻に収められています。
採用されている執筆者の名前を数人挙げますと、幸田文とか。
まあいかにもといいますか、納得ですね。
武田泰淳井上靖、伊藤整といった文壇の大御所。
開高健獅子文六などは、まあ当然出てくるわな、と。
大岡昇平などはあの魯山人の「ラ・トゥール・ダルジャン」でのエピソードを披露しておられます。
そう、パリの高級レストランで鴨料理を山葵醤油で食べたというあのエピソード。
このとき同席していたのが案内役で画家の荻巣高徳と大岡昇平でした。
魯山人本人のエッセイやいろいろな伝聞で有名な話ですが、同席者の証言ということでこれは保存されるべきでしょう。
瀬戸内晴美(寂聴)のエッセイもいい。
これは現代人にも体験できる話です。
20日間の断食を行い、それがきっかけで好き嫌いがなくなり、何でも美味しく食べられるようになったと。
そう、グルメだ美食だ好き嫌いだなんてのは、飢えの前ではぶっ飛びます。
美食も結構ですが、まずは食べられるありがたさに感謝しませんと。
ダイエットしている女性がつい食べすぎたり甘いものに手を出してしまったりなんて話を聞きますが、なんでも好きなものが食べられる立場の道楽みたいなものです。
そこには食に対しての感謝などありません。
ま、そんなことにケチつけてもしょうがないし、話がそれました。(笑)
食べることを文章にする。
やはりそこには大げさな話になるかもしれませんが、その人の人生観みたいなのを、少なくともその人の価値観を感じたいと思います。
そういう意味では非常に砥がれた食エッセイ集ですね。
ラベル:グルメ本
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2020年06月02日

「さようなら、ギャングたち」高橋源一郎

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作者のデビュー作です。
詩人のわたし。
そして恋人のS・B(ソングブック)。
んで、ギャングたち・・・・。
なんですか、これ。(笑)
私にはさっぱりわかりませんでした。
吉本隆明が当時「ポップ文学の最高の作品」と評したそうですが、う~ん、そもそもポップ文学とは何ぞや?
2020年の今、そんな言葉使ってる人いないですよね。
“ポップな感覚”という言葉自体、今からすれば“ナウい”と同じくらい恥ずかしい感性だと思うのですが。
まあ時代もありましょうが、作者はそんな中で評価されデビューし、いまだ作家の肩書でご活躍です。
いまや文壇の重鎮の風格さえ漂ってきました。
ポップな感性についていけない私ごときが触れる作品ではありませんでしたね。
スンマセン・・・・。(笑)
ラベル:小説
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2020年05月29日

「酒のかたみに」監修 髙山惠太郎

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「月刊たる」という大阪の出版社が発行している酒の専門誌に掲載されたエッセイ集。
もちろん内容は酒について書かれたもの。
いや、酒についてというよりも、酒を愛した作家たちについて書かれたエッセイですね。
昔の作家は酒が似合いました。
文壇バーなんてのもありましたし。
なのでエピソードにも事欠きませんでした。
そんな作家たちを、身近にいた編集者や文筆を生業とした人たちが語っておられます。
ここに登場する作家は、開高健、有吉佐和子、色川武大、立原正秋井上靖源氏鶏太池波正太郎、梶山季之、高橋和巳、森敦、稲見一良中上健次、吉行淳之介。
錚々たる顔ぶれですね。
皆すでに亡くなっておられます。
執筆しておられるのは菊谷匡祐立松和平山本容朗などなど。
こちらもまた亡くなっておられます。
昔の作家と生で接し、いろんな言動を見聞してきた人たちがいなくなる。
寂しいことですがこれも時代であり歴史であります。
なのでこのようなエピソードを文章で残しておられるのはとても貴重ですし、嬉しいことでもあります。
このあと「続・酒のかたみに」、「新・酒のかたみに」と出ており、どちらも購入済み。
また楽しみに読ませていただきましょう。
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2020年05月01日

「張形と江戸をんな」田中優子

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張形。
若い人には通じないんじゃないでしょうか。(笑)
今でいうディルドですね。
一般的にディルドやバイブというと男性が女性に使うというイメージがあります。
しかし著者は「そうした意識の背景には女性に性欲はなく受身で、自慰もしないという『西欧近代的な性神話』が影を落としている」といいます。
で、いろんな春画を紹介し、分析しておられるんですね。
春画の世界において、初期には女性は積極的に自らの性欲の解消に張形を使っていると。
しかしだんだんこの世界でも、張形は男性が女性を攻める道具に変わっていっていると。
張形という文化を通して、江戸時代の女性の性欲や性文化を解き明かそうという試みです・・・・。
まず『女性に性欲はなく受身で、自慰もしない』なんて、これ何十年前の感覚なんでしょうか。(笑)
この本が出版されたのは2004年。
今から16年前。
とはいえ、すでに女性の性欲なんてオープンになっていましたよ。
ネットでどれだけの女性がそれを披露していたか。
なのでこの時代にこんな問題提起をしても「はぁ?」という感じです。
思いっきりズレてます。
たしかにそういう時代があったのは事実。
『女はオナニーなんかしない』。
そう思われていた時代もありました。
そんな時代にこの本を出していれば画期的だったかもしれません。
『西欧近代的な性神話』なんて主張しても「なに言ってんの、この人」で終いです。
今読みますとそういうズレはあるのですが、しかし春画を通して張形文化や当時の性文化を分析しておられるのは一読する価値があります。
ただこれも描いているのはすべて男性の絵師です。
実際に見て描いたわけではなく、男性による想像の世界です。
奥女中の実態なんて見られるわけないですからね。
もちろん著者はそのことについて触れておられますが。
江戸時代というのは思いのほか性についてはオープンで、皆楽しんでいたようです。
しかし、他の女性が大勢いる前で張形を使用している絵が多々あるのですが、ここまでオープンだったのかと。
著者はあとがきで「『男性の眼』『事実ではない』という二つの既成概念をまず取り払った」と書いておられます。
それはいいのですが、だからといって描かれていることをそのまま真に受けていいものかと。
独自の持論を展開するぶんにはいいですが、その二つの既成概念はある程度話の飛躍のストッパーになっていると思うんですけどね。
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2020年03月28日

「銀座バイブル ナンバーワンホステスはどこに目をつけるのか」向谷匡史

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夜の銀座は成功者の街だといわれています。
実業家、政治家、芸能人、文化人、それぞれの世界で名を成した人たちが集まる世界です。
なにしろ高級店になりますと座っただけで4~5万円ですから。
一時期ほどではないにせよ、そのステイタスはいまも変わらないでしょう。
そんな銀座の一流店のホステスたちは、どのように客をもてなし、稼いでいるのか。
ホステスとしてどのような振る舞いがいいのか悪いのか。
裏を知る著者がノウハウを語ります・・・・。
まず銀座なんて街は大阪在住の私にとりましてまったく縁がありません。
大阪の北新地にさえ縁がないのですから。
当然、夜のクラブ活動なんてまったくもう。
地元の駅前さえ出かけるのも億劫な出不精です。(笑)
それはともかく、読み物としてはとても楽しめました。
ホステスの実態、う~ん、なるほど、客の相手して酒飲んで店での実働は4~5時間。
そりゃラクだわな、なんて思ってはいけません。
お気楽なサラリーマン、OLなど、及びもつかない苦労があります。
一流店のトップになりますと年収1億はあるようですが、しかしそんなのは一握り。
それでなくとも出費はひと月にサラリーマンの月収くらいはあるようですし。
私にはまったく縁のない世界なので、他人事のように(他人事ですが)楽しく読ませていただきました。
ちなみにネットでもそういう世界を取り上げた動画がいくつか紹介されています。
TVの取材で放映されたらしい六本木から銀座に進出したママの動画なんてのもありましたが、調べてみましたらどうやら撤退したようで。
オーナーとして銀座に店を出す、客として店に通う、どちらもステイタスですが、なかなか難しいようですね。
会社の経費も使えなくなりましたし、成金も減りましたし、そうなると店も維持できない。
若い連中もいまさらそういう場所を有り難がらなくなってきたというのもあるんじゃないでしょうか。
厳しい時代です。
でも私には縁がないながらも、こういう店はぜひ続いていただきたいと思います。
これもまた文化でしょう。
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